書評

『人生のピークを90代にもっていく!』レビュー

枝廣淳子『人生のピークを90代にもっていく!』

人生のピークを90代にもっていく!社会と個人が変え合う未来

前回の100年人生に向けて人生の方向性のシフトが必要と説いた本『ライフ・シフト』の流れを受けて、枝廣淳子著の『人生のピークを90代にもっていく!』を取り上げます。副題は「折り返し地点から「死ぬまでハッピーな人生」をつくる」。幸せ経済社会研究所の所長であり、環境省、内閣官房、経済産業省などの審議会や研究会にかかわって社会と個人の問題を考え続けている著者からはどんな提言があるのでしょう。 

幸せとは、豊かさとは 

「はじめに」に書かれているハーバード大学医学大学院の研究チームが行った、健康と幸福に関する追跡調査をご存知でしょうか? TEDのスピーチがYouTubeにあるのでご覧になったことがある方もいらっしゃるかと思います。

詳細はスピーチをご覧いただくこととして(日本語字幕を付けることができます)、この調査の結果で、多くの人が幸福感を感じるのは、富や名声によってではなく、身近な人達との人間関係が良好であることによってであることがわかりました。 

人間関係が良好であるというのは、ただべったり一緒にいることではなく、かといって衝突を避けるべく希薄に接することでもありません。程よい距離感で信頼し合い、お互いを想い合っている友人や家族がいるということです。 

幸せの形はそれぞれ違います。また、幸せを感じる事柄も環境や年齢によって変化します。例えば以前は直接自分の幸せだけ感じていたのが、好きな人ができたらその人が幸せそうだと自分も幸せに感じるようになる、といったような変化があげられます。 

とはいえ、幸せを幸せと感じるにも条件があるような気もします。先行きに対する不安があったり現状に対して不満がある時には、同じ事柄に対しても幸せを感じることは難しいものだと思います。 

多くの人はこのような不安を避けるために富を求め、金銭的な余裕から安心を得ようと必死になります。 

不幸だと感じている時は、もっと働いて、もっとお金を貯めて、マイホームやパートナーや地位や名誉を獲得すれば安定し、この不安も消えてゆったりと幸福を感じることができるに違いない、と思い込んではいないでしょうか。 

今自分が幸せを実感できないのは状況や環境がそれを許さないからであり、何とか自分の力でそれを解消しようと今まで以上に働き、勉強し、「向上心をもってポジティブに取り組んでいれば、いつか豊かさを享受できるようになる。今は我慢して努力してとにかく頑張ろう」そんな考えに取りつかれていないでしょうか? 

では、豊かさとは何でしょうか? 

豊かさを金銭的な豊かさと定義することも可能ですが、緑あふれる環境で地球というシステムの作り出す豊かさを感じることもあります。鳥のさえずりや小川のせせらぎが聞こえ、木々の緑が太陽の光を反射して風にそよぐうららかで気持ちの良い景色を目の前にしたとき、そういったものを豊かさだと感じることは、何の間違いでもないでしょう。 

決して金銭的な豊かさだけが豊かさではないと感じるのが人間の心のようです。 

では、幸せとは何でしょうか? 

幸せを何らかの欠如が満たされた状態であると定義することも可能ですが、お金持ちになっていなくても、いつもどおり家の狭いお風呂に浸かりながら、ふと幸せでいる自分に気づいて、それに浸ることもあります。 

逆説的には、大金持ちが24時間365日幸せかと言えば、四六時中不幸な大金持ちもいますし、適度に不幸なときと幸福なときがある大金持ちもいることでしょう。貧乏でも幸せだなぁと実感することはいくらでも可能ですよね。 

このように、豊かさも幸せも捉えどころがなく、その人の価値観によっても大きく変わってしまうものです。 

では、そんな中いったいどうやって90歳をピークに幸せでいることができるのでしょうか? 

次回は著者枝廣さんが提案する、人生100年時代に「新しい幸せ」を実感するヒントのひとつにフォーカスして、著者が言いたかったことを考察してみたいと思います。 

新しい時代の社会と仕事 

心理学を修めた著者の枝廣さんは心理学的見地からも色々なモノの見方を示してくれています。 

幸せには「欲しいものを手に入れる」ことで得られる満足という幸せと、「何もなくても満ち足りていると感じる」ことで気がつく満足という幸せ、という2種類があるとしています。 

これは戦後のモノがない時代に「足りないモノ」を得るということに向けて、消費社会を駆け抜けることで獲得してきた幸せが、足りないモノがない時代になりどのように幸せになってよいのかわからず、とうとう「余ったモノ」を「断捨離」するほどになった現代に必要な変革ではないでしょうか。 

もしも、欲しいものを手に入れることだけが幸せと考えていれば、今のような時代には幸せになるのは程遠くなりますよね。 

そこで、もっと本質的に人間にとっての幸せとは何なのか、考え方を変える必要があるのではないかと著者は言っています。 

ひとつはメンタルモデルと言われるものを考えてみることです。他に老いに関するビジョンについて考えることや時間の分配方法についてなども提案されていますが、メンタルモデルを知ることは変化を自分の内部で起こすため、一番手っ取り早い方法でもあります。 

著者が言うとおり、メンタルモデルや思い込みといったものに自分が縛られていないか考えてみることはとても役に立ちます。私たちは観念や概念というものを使って事柄を編集し、物事の理解を高速化しているのだそうです。これがうまく働いているときはいいのですが、これに捉われすぎると固執となり、思い込みに苦しめられることになります。 

「この人はこういう人だ」というメンタルモデルを例に説明します。「この人はこれを差し上げるといつも喜んでらっしゃるから、毎回これを差し上げて喜んでいただこう」と考えているとします。ところが、相手の方もこちらを「あの人はいつもこれを嬉しそうに持ってきてくれるから、もうたくさんあって困っているけれど、仕方ないので喜んで受け取って差し上げよう」と思っていれば、お互いのメンタルモデルのためにどちらも本当の喜びを感じることなくすれ違っていることになります。 

このようにメンタルモデルは「今ここ」にある事実から私たちを遠ざけてしまうことがあります。 

私たちの人生が100年の長きにわたって続くようになってきたことで、それに合わせてライフプランや心構えを変えたり、社会制度や家族の形を変えたりすることは自然なことです。 

今の自分やこの先の自分にとって、「幸せ」ということがどんなことを指すのか、いろんな観点からじっくり考えてみる必要があるのかもしれません。 

自分を幸せにできるのは自分しかいません。幸せという言葉を共有できても、自分が幸せかどうかを他人に感じてもらうことができないからです。 

幸せという言葉を定義することと、幸せだと感じることは別のことであり、幸せという言葉を使っても、「私にとっての幸せ」と「あなたにとっての幸せ」が違うからです。 

更に時代の変化に合わせた幸せの発見の必要も出てくることでしょう。前回書評を書いた『ライフ・シフト』でも予見されていたように、AIとロボットが単純労働をしてくれる時代になれば、幸せを労働から得ることも労働に対する対価をもらって幸せを感じる機会も減るでしょう。 

まるで社会から突き付けられたように感じる変化ですが、実際には私たち自身が100年の寿命を持つことで社会を変えているのかもしれません。その大きな変化を前に、社会の一員として自己の在り方を改めて自分に問うことと同時に、どんな社会にしていきたいのかをも問われているのではないでしょうか。 

この大きな変化を前に、私たちは内面では古い思い込みや慣習やメンタルモデルなどから自由になって各自が自分らしさを発揮し、外面である社会の中に経済的な豊かさだけでない豊かさを見出し、仕事や役割、価値などを創造していくことで新しい時代の「新しい幸せ」を感じることができるのかもしれません。 


この書評は、元の掲載先から許可を得てこちらで再掲載しています。

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