書評

『ライフ・シフト 100年時代の人生戦略』レビュー

リンダ・グラットン/アンドリュー・スコット『ライフ・シフト 100年時代の人生戦略』

日本文化におけるご隠居さんという存在

ライフシフト3冊目は世界中のどこよりも日本人が「人生100年」にリアリティを感じているためか、2016年の日本語版発売以来売れまくっているリンダ・グラットンとアンドリュー・スコットによる『ライフ・シフト』東洋経済新報社を取り上げます。 

「ご隠居さん」という人物像をご存知でしょうか。 

テレビでおなじみの「水戸黄門」の水戸光圀公もご隠居さまと呼ばれています。 

落語を聞いていてもご隠居さんというキャラクターが出てくることがあります。 

昔は今のように制度としての定年退職もなく、経済的な余裕がある人だけが自分でリタイア(隠居)して、経済活動を若い者に任せて第一線を退き日がなのんびり過ごすといった形だったようです。昭和の時代においても隠居という行為には残りの人生を悠々自適と暮らすという憧れがあったようです。 

その憧れはバブル崩壊と共に崩れ去り、退職後は楽しみにするものではなく心配するものとなって久しくなりました。 

話を落語に戻しますと、この憧れのご隠居さんは若い者にうんちくを垂れるキャラクターとして登場します。職人であるおっちょこちょいの八っつぁんと乱暴者の熊さんはわからないことがあるとご隠居さんのところへ聞きに行くというおなじみの展開があるのです。 

水戸黄門も実際にも中納言の座を退いて隠居しており、テレビ版では仮の姿としても越後のちりめん問屋の主人を隠居しています。旅を重ねながら人を諭して回ることになります。 

うんちくを垂れたり人を諭したりしながら働かずに毎日を過ごす、つまり人々が自分の知識をまだ必要としているような、社会に必要とされつつ責任のある仕事を必死にこなさなくて良いという理想だったのかもしれません。 

しかし、そういった隠居生活の理想も様変わりしてきました。サラリーマンを定年退職した昭和の企業戦士たちになんとなくご隠居さんたちとは違った「居場所のなさ」を感じるのは筆者だけでしょうか。定年退職後は会社の同僚との交流は耐え、特に趣味がなければ家でテレビを観て過ごすステレオタイプではありますが。「ぬれ落ち葉」「熟年離婚」といった言葉もそれを助長してしまったのかもしれません。 

隠居から定年や老後という言葉へと変化し、そこには憧れに不安が混じります。 

日本以外での評価 

この本、実は日英米の中では断トツで売れているようです。これを書いている今現在(2019/3/23)ペーパーバック版のランクはAmazon USでは27663位、Amazon UKで2577位です。 

日本のアマゾンでは206位です。 

長寿国と言われて久しい日本は今後も平均寿命が延びて海外より100歳を超えて生きる可能性が高いことと無関係ではないでしょう。 

しかし、なぜ海外では日本で売れているほど売れていないのでしょうか? 

海外の人たちに人生100年の実感がないわけではありません。例えば平均寿命ではなくジェロントロジー・リサーチ・グループの歴代最高齢のリストを見ると、アメリカ人が実に多くランクインしています。115歳を超えた人は47人中19人がアメリカ人です。同じリストの中にいる日本人は10人でアメリカ人の半分。平均寿命は日本が1位を長く保っていますが、意外なことに115歳を超えて生きた人の数ではアメリカに及ばないのです。 

ではアメリカと日本でいったい何が違うのでしょうか? 

これは「将来への不安」と関係があると筆者はみています。将来への不安と切り離せないのが保険という商品ですので、その数字を見てみましょう。日本の保険加入率は88.7%です。アメリカの生命保険加入率は出所が確定できないのですが、80%あるいは60%としているものもあります。生命保険の発祥の地であるイギリスでは生命保険の加入率はたったの38%(英保険会社ドリューベリー2015年調査、出典ZUU online 2016)です。保険の額は欧米の方が高いので金額ではアメリカがダントツではありますが、加入率が高いということはアメリカ人より日本人の方が多く保険をかけているということになります。 

日本人は漠然とした将来に対する不安をどうにかしたいと思う傾向が強いのかもしれません。 

そして、この本の著者は不安をどうにかするための指針を与えてくれているからこそ、日本でのベストセラーにつながったと考えてよいでしょう。 

人生100年になると何が問題になると著者は考えているのか 

人生をマラソンに例えると、走行距離が長くなったわけです。10キロのマラソンコースが20キロになったと考えてください。同じペース配分で走ったら、体を壊します。 

次に、これを人生に置き換えてみましょう。 

20歳で働き始めたとして、60歳で引退するとします。40年働く計算になります。 

人生70年ならご隠居期間は10年で、10年遊んで暮らして葬式代が出ればいいかなという貯金を40年で貯めます。 

人生100年ならご隠居期間は40年となり、それまで働いてきた40年と同じだけあるわけです。 

20歳からの40年で定年退職後40年の悠々自適のための貯金をして葬式代を捻出するとなると、いったいいくら必要になるのでしょうか。漠然とした不安がここから噴出し始めます。 

まずは経済的な問題です。おそらく80歳くらいまでは働くことになるだろうということですから、そこまで働いても体を壊さずいられるような働き方生き方をする提案をしています。 

しかし、著者はお金の問題だけを取沙汰しているのではありません。 

最後に詳しく述べますが、人生100年にはアイデンティティの危機という問題もあります。 

経済活動をするということと、社会と関わって生きるということは切り離せませんので、アイデンティティの問題はお金の問題とセットであるといってもいいかもしれません。 

AIやロボットなどに「労働」が取って代わられる時代を予測し、どのように社会でアイデンティティを保っていくのかについても考える必要があることも訴えています。それは自己紹介でどんな仕事をしているかを話すことによって自分を知ってもらうことができなくなるということを意味しています。ある意味では、AIやロボットが働く世界は、人類すべてが早期退職してご隠居さんになるといってもいい世界です。 

心理学者(グラットン氏)と経済学者(スコット氏)が精神的な活動や家庭生活も含めて考え直すよう問題提起をしているのはそういった背景があるのではないでしょうか。具体的には、グラットン氏が組織論の権威であることと無関係ではないと思います。組織では組織の構成員である一人ひとりの働くモチベーションやライフステージについて研究するからです。 

今に始まったことではない! 

組織というのは会社や労働環境と、個人の家庭やライフステージといったものと相関関係にあります。 

著者はライフステージと言われる就学、就職、結婚、出産、子育て、リタイアという人生の大きなイベントを通して経験する変化も、「人生100年」によって影響を受けるとしています。 

子育てが終わったころに、ミドルエイジクライシスという精神的な危機を迎えるといわれています。とにかく子どもを育てるためにお金を稼ぐ時代を終えた時に、この先何を支えに生きればいいのかといった問いを抱えるからでしょう。 

最近では人生のもっと遅くにもう一度、老年期の精神的な危機を迎える人が増えていることが社会問題となりつつあります。老年期のウツと高齢者の自殺の問題です。 

人類がこの世界に存在した古来より、人間という存在が社会を構成してお互いを比較したり投影したりしながら、自分は何者かというアイデンティティを得ながら生きている以上、いわゆる「居場所」や「所属」といったものなしに生きるのは非常に難しいことでもあります。 

どんな社会的なステータスを身にまとっているのかということが実に重要なアイデンティティになるのは疑いようのない事実です。 

落語のご隠居さんは、隠居はしつつも物知りとして頼りにされることで、長屋での地位と居場所を持っています。 

会社を退職あるいは事業を手放し、隠居した後もアイデンティティの危機を迎えずに社会の中で居場所を見出す必要性を説いている書と読むことも可能なのかもしれません。 

『楢山節考』は姥捨て山の話ですが、かつて寒村で経済活動や生産活動ができない老人を食い扶持を減らすために切り捨てる風習があったように、老人問題は高齢化社会を叫ばれる今に始まったことではないのです。 

年を取っても、遊びであれ仕事であれイキイキと活動ができないほどに疲弊してしまわないこと、80歳くらいまでは精神的に所属感や希望や楽しさを感じられ続ける環境を自分でデザインしながら生きること、若いころから全員が無理をしなければ回らない社会を支えないことの重要性を、この本は人生100年という切り口で多くの人々に考えるきっかけを与えているのだと思います。 

「不安」とは「未知」で「漠然」としたものに抱くものであり、その正体がわかってしまえばやることが見えるようなものですから、いたずらに不安に駆られて不要な出費をかえってしてしまわないよう、長く続けるとして何をすれば楽しく続けられるかに心を砕き、頭を使いましょう。 

この流れを汲んで、次回は枝廣淳子著『人生のピークを90代にもっていく!』の書評をお届けしたいと思います。 

この書評は、元の掲載先から許可を得てこちらで再掲載しています。

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