書評

『人を動かす』レビュー

D・カーネギー『人を動かす』

コンプライアンスの手前で

人を動かす2冊目は「日本で500万部突破の歴史的ベストセラー」と帯にある創元社 D・カーネギーの『人を動かす』を取り上げます。

前回の『嫌われる勇気』でも書いたのですが、本を作る編集者は作者の意図を汲みつつ、潜在的読者にインパクトを与えつつ中身を想像して読んでもらうために、タイトルを少し「大げさ」にしたり「挑発的」にしたりすることがあります。

原題は『How to win Friends and influence people』で、直訳すると「いかにして友人を得て人々に影響を与えるか」というものです。

『人を動かす』というタイトルは人を操る術を書いた本のようなインパクトを与えますが、読んでみると当たり前で忘れがちな社会人としての在り方を、例を示しながら説いた本であり、むしろ心を込めて人と対することを説いていることに気が付きます。

キリスト教会を中心としたコミュニティ社会

作者カーネギーは米国人です。米国は1776年に独立した建国以来250年にも満たない国ですが、1492年にコロンブスが米大陸にたどり着いて以来、キリスト教会を中心としたコミュニティを構築しながら西部開拓を進めた歴史があります。

現代でも食事の前と就寝の前に祈りをささげ、週に1度教会に通う米国人は多いのです。

開拓時代の映画やドラマを見ていると、当時の人々が教会を中心に村や町を作り、日曜日に教会でメンバーの安否を確認し、情報交換をし、困っている人には知恵や手を貸すなど、教会が宗教的な儀式を執り行う以上の、コミュニティースペースとしての機能も果たしていた様子が伝わります。

また、荒野を回って商人が日用品を売って歩くために、無法者が銃を持って強盗しながら各地を逃げ回るような土地柄、教会へ顔を出して村や小さな町の人々と共に祈ることは必要なファクターであったのかもしれません。

米国人の善意にはこのようなキリスト教の助け合いの精神がベースにあるイメージがあります。カーネギーが本書で例として出すエピソードにもそういった背景を感じ取れるものがあります。

日本人のための意訳の必要性

宗教・倫理・道徳・規範の違い

一方、日本人は違う宗教に基づく倫理観を持っています。私たちが意識することなく持っている「お天道様」や「八百万の神々」のような土着信仰と言われるようなものと神社神道、さらに仏教的な倫理観が入り交ざったものであるといえるでしょう。

キリスト教の神は天罰を下しますが、お天道様は悪行をする人間に天罰ではなく「恥」を与えます。

こういった宗教観や道徳・倫理といったものが社会の規範に与えている影響を考えると、欧米の思想をそのまま伝えることは不可能だと思われます。

社会構造の違い

そして、そこに立脚する社会構造の違いも大きく影響しているといえると思います。

気が付いたら何千年も前からそこに先祖代々暮らしているために、窮屈さと引き換えに慣れ親しんだ慣習を大切にする社会と、自分も含めてゼロの場所に様々な価値観を持った人が集まって新しいルールを作っていく社会には構造的な違いがあるといってよいと思います。言い換えると、人間関係の構築のしかたが違うといってよいのかもしれません。

しかし、この宗教・道徳や社会構造の違いというものを超えて「人類」というくくりの中で普遍である「大切なもの」は変わらないからこそ、洋の東西を超えてこの本や日本でもベストセラーになり、カーネギー亡き後の時代も超えて改訂されながら版を重ねて読まれていくのでしょう。

その「大切なもの」を伝えるために、多少の意訳が必要ではあるものの、便利なものや良いものは意訳がなくとも悪用できてしまうという危険性をはらんでいるものではないでしょうか。

実用書は諸刃の剣

パワーと善悪二元論

欧米の勧善懲悪的な映画を見ていると、いくつかのパターンがあることに気がつきます。その一つに、宇宙を操れるほどのパワーを巡って、ヒーローと悪者が戦うというパターンがあります。この争いの元になっているパワーは使う者によって結果が真逆になってしまいます。悪の手に落ちるとこのパワーは人々を苦しめます。古くはスーパーマンに始まりハリーポッターやアベンジャーズなど枚挙にいとまがないほど出てくるテーマです。

現実世界でのパワーは法律もその一つでもあります。法律は争いごとに決着をつけてくれるものではありますが、法律をよく勉強してみると抜け道があったり悪用しようとすればいくらでもできてしまいます。

心理学もその一つです。人間の心理を研究して人間関係の悩みを解決してくれるものではありますが、逆から辿って思い通りに相手を操って悪用しようとすればいくらでもできてしまいます。

このカーネギーの著書にも同じように悪用できてしまうほどのパワーがあるからこそのベストセラーなのだと思います。

ここで善悪二元論的に映画のエンターテーメントように「善と悪」を語ることに絡めて、カーネギーが最初にこの本で述べていることに注目してみましょう。

同じものをどう見るかで変わる

「盗人にも五分の理を認める 」というPart 1の「人を動かす三原則」の一番目に上がっているところです。原題では“If You Want to Gather Honey, Don’t Kick Over the Beehive”となっていて、直訳すると「ハチミツを集めたければ、蜂の巣を蹴ってはならない」となります。

日本語版に使われていることわざには「どんなことにも理屈はつくものだ」という皮肉が込められてもいます。

一方、英語のことわざの方には「欲しいものを手に入れたければやり方に注意せよ」という意味があります。なんとなく、考え方のズレを感じるのは私だけでしょうか?

カーネギーが言いたかったことは「悪い奴にも理屈があるもんだが正しいということは変わらない」ということではなく「自分の言いたいことを聞いて欲しいとか一緒に気持ちよくやり取りがしたいと思うなら、俺の話を聞けと力づくでやってはいけない」ということを言いたかったのだと思うのです。

ここは是非とも内容を読んで、色々な例を通して同じものでも立場や考え方によってどちらが正しいとも言えないようなものがあるのだということを理解していただくこととしましょう。

悪とは何か

善悪を自分の物差しで測って判断するのは簡単ですが、その物差しが対象のものを測るのに適していない可能性を捨てきれないことがあります。

例えば、重さを計らないといけない時に、定規を持ってきて測ろうとしても正しい数値を出すことはできません。

これは本当の目的を見失ってしまった時にやりがちなことです。

人類の歴史上で、出発点を自分の幸せとしなかった言動が存在するでしょうか。

ただ、自分の幸せが何であるかは人それぞれです。色々な幸せの形がある中で、葛藤は避けることはできないでしょう。

その中では自分の幸せへの道を邪魔するものは悪であると定義することも可能です。

それで本当に幸せが手に入るのであれば。

顔が見えない大きな社会で

バレなければ

この葛藤を避けるために人々はいろんな策を巡らせます。その一つが「ズルをする」ということでしょう。

バレなければ多少の嘘やズルは許されるだろうという考えです。

もっと巧妙に「嘘ではないが本当でもない」ということを行うこともあるでしょう。

ゴーンショックで企業のコンプライアンスが今まで以上に問われるようになってきています。

大量生産の上には消費者というエンドユーザーは見えにくくなりがちです。一方で

にとって贔屓のブランドは唯一無二の存在であり、同じ製品があっても他ではなくその企業のそのブランドを選ぶわけですから、社員の一人一人ではないにしろ、社長と企業はエンドユーザーから見られているのです。その企業のブランドを愛してきたエンドユーザーの喜ぶ顔を想像しながら、そのことを忘れずに仕事を続けられる企業人はどのくらいいるでしょうか。

カーネギーがこの本を通して説いているのは、どうでもいい人から自分の欲しいものを得ることではなく、信頼し合える友を得る方法です。人を操って思い通りにすることではなく、自分が本当に良いと思うことを上手に伝えて役に立てて喜んでもらう方法です。

何より、彼自身がこの本を通して、自分が本当に良いと思ったことを伝えて役に立てて喜んでもらうことを考えていたのではないでしょうか。

しかし、手段を選ばず自分の利益を第一に考え、人を思い通りに操ることを目指している人がいたとしても、カーネギー自身が言う通り、それを批判し避難し、苦情を言うことでは何も解決しないでしょう。むしろ逆効果であると彼は言っています。

Part 1の「人を動かす三原則」も原題では“Fundamental Techniques in Handling People”で直訳は「人を扱う時の基礎技術」という意味になります。「人を動かす」とは言っていないのです。

この他者に対する態度の違いはどこから来るのでしょうか?

内面が外面に出ている

多くの日本人はウチソトを持っています。外の人々には顔がありません。匿名性が人間の残虐性を助長するということは心理学の研究からも知られています。顔見知りや家族であっても、自己防衛本能が働けば相手の立場も気持ちも二の次になってしまうことすらあります。

アドラーの『嫌われる勇気』を前回取り上げましたが、アドラーとカーネギーは共通の人間観を持っています。それは人類全体に対する仲間意識や平等感です。

彼らは、人間は自分を基準に世界をとらえることしかできないということを、自らの経験値によって判断しています。

身内や家族だけを大事だと思って守ろうとしている人は、攻撃から家族を守るという命題を持っています。しかし、人類全体が仲間であり平等であるという世界観の中にいるなら、誰が何の目的で私たちを攻撃をするのでしょうか。身内以外の人間からは攻撃を受けるものだという考えの元は本人の世界観の中にあるということになります。

自分を騙している人は他人を騙すことをなんとも思わないということになるでしょうか。自分にバレないことは無いことと同じであり、他人にもバレないことは無いことと同じであるという原理です。

動機が大事

人と関わっていればいいこともありますが、同時に葛藤を避けることもできません。生きるために経済活動をしないことも現代の社会では不可能です。

企業の経営をしている方々にとって、日々のほとんどの時間は会社経営を中心とした喜びと葛藤であると言っても過言ではないでしょう。

従業員を守るため、家族を守るため、自分を守るために、事業の発展を望み、利益の拡大や安定を求めるのは当然のことです。

しかし、誰から何を守っているのでしょうか。誰がなぜ攻撃するのでしょうか。

もし、カーネギーがこの本を通じて伝えたかった真意を汲み取ることができたら、ビジネスにおける葛藤や不安は薄らぐのではないでしょうか。

なぜなら、競合他社も含めて企業が世界中の人々に提供する商品やサービスは相手の幸せを自分の幸せのように願う活動の結晶でしかないからです。つまり、本気で自分にとってよかったものを人々に勧めることが商品やサービスの提供であり、そこには自然に企業のコンプライアンスが含まれているからです。ステークホルダーに叱られるからではなく、ステークホルダーに喜んでほしいという動機が、自然なコンプライアンスつまりWin-Winの関係であると言えるのではないでしょうか。

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この書評は、元の掲載先から許可を得てこちらで再掲載しています。

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